“クリスチャン・ディオール”は、フランスのノルマンディーで生まれました。

父は実業家で、家庭はとても裕福であったといいます。

クリスチャンが幼少の頃、一家はパリへ引っ越します。
教育熱心であった父の薦めもあって、クリスチャンは10代の頃より20歳になるまでの間、パリ政治学院に通います。
この学院は著名な政治家など多数輩出しており、フランスの歴代大統領である”フランソワ・ミッテラン”や”ジャック・シラク”もその卒業生です。

ですが、クリスチャンはかねてより芸術を志したく思っており、父の方針にはいくらか反発があったといわれています。
ですが、そうした結果、父の出資により、ギャラリーの経営を始めることとなります。

その後、彼はデザインの仕事に従事します。
しかしながら当時は第二次世界大戦のほか、フランスは諸国との戦争を多く行っていました。
まだ若かった彼はフランス軍に何度も徴兵され、戦地へと出向きます。
兵役を終えた後も、デザイナーとしてナチス高官の衣服のデザインを任されたりと、不本意な仕事をこなさなくてはなりませんでした。

戦争終結後の1946年、クリスチャンはようやく自身の夢を叶え、パリでブランドを立ち上げます。

ほどなくして彼の発表したコレクションは、世界的なファッション雑誌『ハーパース・バザー』誌において、時代の”ニュールック”と評されました。
そのデザインとは、くびれたウェストラインと、スカートの丈をたっぷりと取った、衣類も不足していた当時としては画期的なものでした。
同時に、これらの贅沢に対して抗議運動すら起こっていたといわれています。

しかしながら、戦後の経済成長と共に抗議などは沈静し、『クリスチャン・ディオール』はパリのファッションシーンの中心的存在となり、世界をもリードするブランドとなります。

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ですが、人気絶頂の最中、クリスチャンは52歳の若さでこの世を去ります。
ブランドは一時的にですが宙を彷徨い、ディオールの歴史は終わったとさえ語られました。

その中、ブランドを引き継いだのは、後に自身のブランドでパリのトップに立つこととなる、若き日の”イヴ・サンローラン”でした。イヴの才能と努力によってブランドは存続し、その後も幾人のデザイナー達の手によってつながれています。