『バレンシアガ』の創立者”クリストバル・バレンシアガ・エイサギーレ”は、1895年1月21日、スペインのゲタリアで生まれました。
街はバスク地方に属し、クリストバルはバスク系スペイン人にあたります。

 

クリストバルの母は裁縫を生業としており、彼も幼少の頃より裁縫に親しみ、12歳から見習いとして働いていたといわれています。

その後の1914年、ブランド『バレンシアガ』を創業させます。
この時、クリストバルは二十歳前であり、時期尚早であるように見えますが、その実は、ゲタリアの街の貴族などが支援者となっていたといわれています。

店舗はまずゲタリア近くの街、サン・セバスチャンにて開店させ、それから大都市であるマドリッドやバルセロナでも開かれました。
バレンシアガはスペイン王室にも歓迎され、顧客を多く抱えましたが、1936年にスペイン内戦が勃発。
クリストバルはそれらの店舗をたたむことを余儀なくされ、自身もフランスのパリへと移住しました。

 

故郷での展開の道は閉ざされてしまったバレンシアガですが、パリでも高い評価を得ることに成功します。

デザインはシンプルさを重視し、当時流行したウェストシェイプのドレスデザインにもいち早く取り組みました。
対して、ウェストラインを持たないデザイン”バレルルック”や、ごくシンプルな代表作”サックドレス”などを発表し、話題が尽きることはありませんでした。

また、当時同じくトップブランドとして成っていた”クリスチャン・ディオール”とも人気を二分し、ディオールの代表的デザイン”Aライン”と、バレンシアガが作り上げた、肩から全体へゆったりとしたデザイン”チュニックライン”は、現代まで続くスタンダードとされています。

チュニックと呼ばれるトップスは、今日の日本でも巡る流行の中で幾度も取り上げられ、多くの女性に愛用されています。

 

クリストバルは幼少の頃からの技術習得の甲斐もあって、デザイン以上にその技術も高く評価されました。
中でも”ココ・シャネル”はクリストバルを「唯一無二のクチュリエである」と称え、彼の大きな栄誉となりました。

クリストバルは、パリ進出より30年を数えた1968年、パリやその頃には取り戻すことの出来ていたマドリッドやバルセロナの店舗を閉め、業界を引退します。
御年74歳。
そして、4年後の1972年に息を引き取りました。

ブランドはクリストバルの死後には、経営は甥が受け継ぎ、デザイナーは幾人も継承されました。
後に香水や、バッグ、シューズなどのコレクションも持ち、人気を博しています。

スペインとフランス、2つの国を故郷とし、現代ファッションを大きく切り開いたブランド”バレンシアガ”。
現在でも貴族や各国セレブの間でも愛用され、その歴史と影響は語り続けられています。