ブランドのサクセスストーリーというのは千差万別ありながらも、ほとんどがその生業のためであったり家族が元々は職人であったりというものが多いのですが、フランスはパリのブランド”ロジェ・ヴィヴィエ”の成り立ちは、ブランドの後のイメージにピッタリの、とても輝かしい物語のオープニングと言い伝えられています。

1907年、フランス生まれのロジェ・ヴィヴィエは、美術学校で彫刻を学んだ後、シューズメイカーに勤めていました。
彼はパリにある劇場、カジノ・ド・パリ、ムーランルージュ、フォリー・ベルジェールなどに通っていました。
そこで、歌手で女優のミスタンゲットや、ジョセフィン・ベーカーと出会い、彼女らのためにシューズを製作、これをきっかけに彼はシューズデザイナーとなりました。

1937年、パリのロワイヤル通りにブティックをオープン。
彫刻を学んでいたというルーツからもわかりますが、彼はそれまでの型に捉われないスタイルとデザインをすることで、ファッション業界では最先端を担うパリの中でとても目立つ存在となったのです。
1945年には透明なプラスチック素材をシューズに用いたことで話題になりました。
その後の1953年には英国女王エリザベス2世の戴冠式用シューズを製作。
同年にクリスチャンディオールのシューズ部門デザイナーに登用されます。
シューズ部門に専任デザイナーを起用することが、ファッション業界では初のことでした。
またこの年には、ヒール部分に球体の装飾をつけた「ブール・ヒール」を発表。
1953年はロジェ・ヴィヴィエにとっても大きな飛躍の年となったのです。
彼はその後、イブ・サンローランやバレンシアガなどの一流ブランドのシューデザインも担いました。

そして1963年、ここでようやく自身の名を冠したブランド”ロジェ・ヴィヴィエ”を設立し、パリのフランソワ・プルミエ通りにブティックをオープンしました。
すでに多大なキャリアを積んでいた彼だけにブランドにはそれほどの浮き沈みはなく、順調ではあったといわれています。

彼の作り出すヒール、またシューズは前述したエリザベス女王や、イランの女王にも着用され、また女優カトリーヌ・ドヌーヴも彼のデザインシューズを履いています。
この時着用したのは甲部分にベルトのようなメタルバックルを施した「ベル・ヴィヴィエ」です。
ロジェ・ヴィヴィエは1998年に死去。
この時期にブランドは一度休止しましたが、2004年以降、後継者らによって再スタートしています。

 

Image Credit: http://www.rogervivier.com/