イヴ・サン=ローランは、1936年、アルジェリアで生まれました。
現在はアフリカの一国として成るアルジェリアは、当時はまだフランス領でした。

イヴは幼少期のうちにパリへと越します。
家庭はそれほど貧しくもなく、また裕福でもなかったといいます。
勉学においてはやはり芸術にセンスを発揮し、17歳の時にデザイン学校に入学。
デザインコンクールのドレス部門において最優秀賞を受賞します。

その時のドレスの作成には、後にジバンシィの創業者となる『ユーベル・ド・ジバンシィ』、また同コンクールの毛皮部門の最優秀賞を獲ったのは、後にシャネルやクロエ、フェンディなどでもデザインを務める『カール・ラガーフェルド』でした。

更にこの時、審査員を介してイヴは『クリスチャン・ディオール』と運命的な出会いをします。クリスチャンはイヴの才能に惚れ込み、20歳を過ぎたばかりのイヴを大きく評価しました。

ですが、その出会いから間もなく、クリスチャンは心臓発作でこの世を去ります。
享年52歳。早すぎる死でした。

偉大なボスを失い、窮地に立たされたブランド『ディオール』の後継者には、何とイヴが選ばれました。
生前、クリスチャンはブランドチームにイヴを迎えたい意向を話していたのですが、若すぎるという理由で推薦は保留されていました。
イヴの持つセンスや能力は、すでにクリスチャンや他の人達によって証明されていたのです。

こうしてイヴは、ディオールをその若い感性で支えます。
ショーでは喝采され、イヴ・サン=ローランの名はディオールの救世主といわれました。

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ですが、イヴには大きな試練が待ち受けていました。
1960年、アルジェリア独立戦争に、フランス軍として徴兵されます。

軍隊での体験は、彼の心身に大きな傷を残します。
神経衰弱のため、精神病院へ収容されました。

それから2年後の1962年、アルジェリア戦争は終結し、イヴはフランスへ戻ります。
そして、ディオールから離れ、自身のブランドを立ち上げるに至ります。

ブランド『イヴ・サンローラン』は、すでにディオールでの功績を認められていたイヴのブランドだけに、早くからフランス中で愛されました。
フランスを代表する女優『カトリーヌ・ドヌーブ』にも愛用され、映画での衣装デザインも任されました。

それから数十年、幾度かの浮き沈みを経て、イヴ・サンローランの歴史は続きます。
イヴは2002年に引退。
2008年、71歳の時に逝去されました。
葬儀にはサルコジ大統領や、カトリーヌ・ドヌーブも参列し、彼の功績を称えました。

イヴは、晩年は軍での体験が元となり、鬱や薬物依存などにも悩まされていたといわれています。
歴史的背景によって波乱万丈を余儀なくされた若き才能。
それでもフランスそして世界を代表するトップブランドを作りました。

イヴの死によって、一度は存続不可能とまでいわれましたが、ディオールの死をイヴが乗り越えたように、イヴ・サンローランの危機は若いデザイナー達に受け継がれました。

近年では香水や化粧品などのコスメ品などでも人気を博し、イヴ・サンローランの歴史は現在でも続いているのです。