イタリアのファッションといえば、世界でもトップクラスの注目度を誇ります。
そんな中、近代ファッションブランドの巨匠”ジョルジオ・アルマーニ”、”ジャンニ・ヴェルサーチ”と並び、『ミラノの3G』の一人と称されているのが、デザイナー”ジャンフランコ・フェレ”です。

 

フェレは、1944年にイタリアのルガーノで生まれました。
大学時代は建築を学んだフェレは、卒業後はインドに渡り、建築だけでなく東洋の様々な文化に触れて過ごします。
帰国後はインテリアデザイナーを務めていましたが、1972年以降、アクセサリのデザインを手掛けてみたことがきっかけでファッションに興味を持ち、Tシャツやスポーツウェアのデザインなども担うようになります。
1974年には自身初のプレタポルテコレクションを発表。
1978年、ブランド”ジャンフランコ・フェレ”を設立、同時にレディースコレクションを発表。

 

建築デザイナーだった彼の作るファッションには、どこかその特徴があり、どっぷりとしているわけでもなく、かといって軽すぎない「独特なボリューム感」と評価されました。
現在も残っているコレクションにもその片鱗は見られます。
また彼のファッションといえば、白いブラウスが挙げられ、長く愛されています。
そして、その頃アルマーニ、ヴェルサーチと並び、『ミラノの3G』と称されるようになりました。
1982年にはメンズコレクションを作成、新たなジャンルに踏み出します。
1989年にはブランド”クリスチャン・ディオール”のクリエイティブデザイナーに就任。
以後、7年間に渡って同ブランドの発展に貢献し、後釜を”ジョン・ガリアーノ”に託します。

フェレは、ディオールに対して多大な敬意を払っており、「オートクチュールはディオール以外では考えられない」と言い残し、以後自身のブランドでもオートクチュールには関わらなかったといわれています。

フェレは、2007年に62歳の生涯を閉じます。
彼の遺作とされたコレクション、それまでの功績は大きく称えられました。
80年代から90年代、オートクチュールからプレタポルテへと主流の移り変わった激動の時代を駆け抜けたジャンフランコ・フェレは、古き良きイタリア、そして現代のイタリアを建築、そして、ファッションを通じて表現し続けた巨匠であるといえるでしょう。

 

Image Credit:unaDONNA、LATITUDES Life
http://www.unadonna.it/moda/gianfranco-ferre-chiude-i-battenti/95391/

La camicia bianca secondo me: Gianfranco Ferré a Prato