フランスはパリのファッションといえば、地球上でもトップクラスの人気、そして、センスを持っているといえるでしょう。
数々のクリエイターとブランドを世界に送り続けるパリのファッション業界において、ひと際センセーショナルなのが”ジャン=ポール・ゴルティエ”ではないでしょうか。
ブラの付いたコルセット、ボンデージルックなどの刺激的なデザインを作り、定番のマリンボーダーに至るまで人々を魅了してやまないゴルティエのファッション。
それらは今なお根強く、パリのイメージを他の追随を許さないものとしています。

“ジャン=ポール・ゴルティエ”は、1952年に生まれました。
特筆すべきは彼のルーツで、名高いクリエイター達は誰もがそれなりにファッションの教育を受けてきた、あるいは家系がもともと服飾関係を営んでいたなどの過去を持っていますが、彼に至ってはそのようなルーツは存在しません。
そう、独学で編み出した手法とセンスでゴルティエは世に出てきたのです。

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ゴルティエは自ら書いたスケッチを多方面へ送り、チャンスを待ちました。
そこで”ピエール・カルダン”の目に留まり、アシスタントとして働き始めます。
1976年には、自身のコレクション(この時はアクセサリだった)を発表し、ブランド”ジャン=ポール・ゴルティエ”を設立。
この時に資金を援助したのが”オンワード樫山”のフランスでの法人であり、以後もブランドが日本をひいきにするきっかけとなりました。
80年代になると、彼の作り出すセクシーでありながら品性を保ったデザインはそれまでのファッションの常識を打ち破り、ブレイクします。
当時、歌手の”マドンナ”が衣装としてゴルティエのコルセットを着用したことも話題となりました。
近年では、アーティストの”マリリン・マンソン”や、映画”フィフスエレメント”の衣装なども手掛け、保守的なセンスを彼は壊し続けています。

 

そして、ゴルティエの能力に目を付けたのが”エルメス”です。同ブランドはゴルティエの資本参加だけでなく、彼を2004年から2010年までデザイナー、ディレクターとして起用。
老舗ブランド“エルメス”が認めたとあってか、ゴルティエはパリのファッションの最も熱いトレンドとなりました。

 

その後、日本とも深い縁のあるゴルティエは、”THE ALFEE”とのコラボレーションや、宝塚歌劇団の衣装を手掛けるなど、新日ファッションブランドとしても有名です。

 

Image Credit:fashionistastales、gettyimages

https://fashionistastales.blogspot.jp/2016/01/the-story-of-designer-jean-paul-gaultier.html