“ガブリエル・アノカ”は、1921年、エジプトのアレクサンドリアに生まれました。
1940年に、幼馴染みであった”レイモン・アギョン”と結婚。
名前を”ギャビー・アギョン”としました。(ギャビーは、ガブリエルの愛称であるといわれています)

 

結婚から5年後の1945年には、フランスへ渡ります。
ギャビーはいわゆる一匹狼ではなく、幾人かのビジネスパートナー、友人達と晩年までかかわりを持っていたといわれています。

1952年、ファッションブランド『クロエ』を立ち上げます。
自身の名を冠しなかったのは、ブランドイメージに合わないと判断したためといわれています。

 

当時、フランスではまだオートクチュール(注文服)が主流とされていました。
富裕層はデザイナーや大手の仕立て屋に服を作ってもらい、一般市民は地方の裁縫師によって作られた衣服を買うしかありませんでした。
そこでギャビーは当時のビジネスパートナーであった”ジャック・ルノワール”とともに、レディ・トゥ・ウェア(既製服)に着目します。

『クロエ』は現在でもセレブに愛用されるトップブランドの一つですが、他のブランドが発足当時から富裕層や貴族向けの高級衣服を製作していたのに対し、一般層に視野を向けた展開をしていました。

出典:http://www.disneyrollergirl.net/

クロエが始めたこの既製服中心のコレクションは、”ラグジュアリー・プレタポルテ”(=レディ・トゥ・ウェア)と名付けられ、注文服の品質と既製服のポピュラリティを併せ持つとして、ファッション界に新たな風を起こしました。
そして、その後いくつものトップブランドがこのスタイルを参考にして、今日では既にデザインされた服を発表し、販売するということが一般的となったのです。

 

以後、『クロエ』の名はフランスだけでなく世界へと広がりました。
ゆったりとしたシャツドレスをはじめとしたデザイン性、そしてギャビーは前述した通りビジネスパートナーとのかかわりにも天性の才がありました。
1966年には、後に『フェンディ』や『シャネル』でもデザイナーを務めた”カール・ラガーフェルド”を先に起用。
斬新なデザインで時代を彩った”ラフマニノフ”や”アンコール”なども生み出しました。

また、2001年には姉妹ブランドとして『シー・バイ・クロエ』もスタートしました。

 

そして2014年、ギャビーは93歳でこの世を去ります。
戦後のフランス民主化時代において、市民へと目を向け、高級志向を払拭し、幅広く愛されたファッションの母は、今も続く大切な『クロエ』を見守ってくれていることでしょう。