ブランドのあるところには、必ずデザイナーの存在があります。
また、ブランドがより高級で評価に値するものであるほど、その陰には必ず優秀なデザイナーがいるとされます。

 

“カール・ラガーフェルド”は、「デザイナーといえばこの人」と言われるにふさわしいでしょう。

数々のブランドとの関係、また自身でのコレクション、その存在、カリスマ性に至るまで、彼は輝かしいキャリアを手にしてきました。

そして、その陰には、大きな挫折や葛藤、強い信念があるのです。

 

カールは、1933年、ドイツのハンブルグに生まれました。

学生時代よりファッションに興味を持ち、1955年にはデザインのあるコンテストで優勝を飾ります。

その後、彼はデザイナーのアシスタントをこなし、自身もいくつかのコレクションを作り上げます。
ですが、カールのデザインは評価されず、「つまらない」「流行を理解していない」などといわれていました。

評価はそのうちに悪くないものへ変わってゆきましたが、それでも時代の中心と呼べるものではありませんでした。
そのうちにデザインを手掛けることもなくなり、空虚な日々が続くのです。

彼自身が語るには、「その頃には自信もなくしていた。
だから人生とは何かを学んだのだ」と。

20代半ばの若きデザイナーは、こうした挫折を乗り越え、大きく成長することとなります。

 

1963年にはアメリカ人デザイナー”エヴァン・リチャーズ”と共同でコレクションを作り出します。
エヴァンとの関係は、その後カールが多くのトップブランドのデザインを手掛けるようになるまで、10年近く続きます。
ブランドは、その後、カールから他のデザイナーへと後継されてゆきました。

この頃から、”カール・ラガーフェルド”のデザイナーとしての知名度は上がっていくこととなります。

1964年には”クロエ”と契約。翌年には”フェンディ”と、カールは現在も世界に名を連ねるブランドのデザインを数多く手掛けることになります。

そして、1982年。
”シャネル”と契約を結びます。

ブランド”シャネル”は、1971年に創業者”ココ・シャネル”が亡くなってから、ブランドとしての地位を失っていました。
カールは、ただデザインを担うだけでなく、トップブランド”シャネル”の再興を託されたのです。

一度は挫折を味わったカール自身の、同じく苦境に立たされたブランドへの思いは、理想の形となりました。

カールが手掛けたコレクションやプレタポルテは瞬く間に人気を獲得し、シャネルはその名を取り戻します。
貴族や富裕層向けであったブランドから、時代に合わせて大衆的に変化したことが、その一因であったともいわれていますが、それでもシャネルのイメージ、高級感を失うことなく現在まで続けていることは圧巻です。

 

デザイナーとして、彼の欲求は留まることを知りません。21世紀に入ってからも、多くの前衛的なファッションデザインを手掛ける他、フード、あるいは音楽、テレビゲームに至るまで、活動は更に幅を広げています。
その裏には飽くなき追求心、そして幾度となく味わった苦渋への思いがあるからでしょう。

生まれながらにしての天才などではない。
デザイナー”カール・ラガーフェルド”は芸術としてのデザイン、そして文化としてのデザインを今日も追及し続けているのです。

 

Image Credit: blend/bureaux、CNBC
http://www.blendbureaux.com/karl-lagerfeld-to-open-european-concept-store-in-amsterdam/
https://www.cnbc.com/2017/01/12/a-fashionable-friendship-karl-lagerfeld-on-his-long-lasting-collaboration-with-fendi.html